山元町真庭区で一番古いといわれていた古民家の調査報告会を阿部和建築文化研究所主幹研究員 安井妙子氏をお招きして開催いたしました。


牛もち柱上部のホゾに墨書がみつかり、建築年代がわかった。
文政六年癸未歳 真庭 六十才 平右衛門 二十六才 平吉
二月吉日 大工 三十八才 而作 兵太郎 と書かれていた。
よって190年前と判明。




上棟のさいに使ったと見られる、矢羽根が2本が西面の屋根裏に収納されていた。


復元構造模型(制作 一級建築士 作間幸子)を見ながら柱梁の構造を説明


※建物の評価について
元文化庁建造物課長工学博士の宮澤智士氏の評価を報告書から転記させていただきました。
第8 東北における文化財建造物としての評価
阿部一二家住宅は、19世紀の文政六(1823)には建築工事をしていたことがはっきりとした。
柱、梁、桁など軸部の構造材に断面の大きな部材をふんだんに使っていることが特徴的である。
その構造形態は、上屋の周囲に下屋をめぐらす下屋構造であり、特に背面では下屋の背後にさらに孫下屋まで設けて室内に取り込んでいる。当主屋は、当初からの構造体を壊すような大きな改造はおこなっていないので、建物を建築当初の姿に復元して建築することが十分に可能である。
建築当初の姿に復元すると、天井が張ってないので、建物全体にわたってその構造体と空間構成がよく見わたせる。この構造と空間は、東北の上層階級に属する民家の19世紀初頭、つまり日本建築史の時代区分による江戸後期の民家の特徴を遺憾なくあらわしており、東北を代表する民家の一棟であると考える。
当住宅は現在解体の状況にあるが、近い将来の再建にさいしては、建物の特徴を充分に尊重し活かして、より高い価値のある文化財として評価されることを願っている。
以上のように高い評価をいただきました。
このような建物はこの地域の伝統的な建物であって大変貴重な宝物だと思います。
今後さらに復元活動に力を注いでまいりたいと考えております。
最後になりましたが、私どものこの活動にたいしてご資金的なご支援ご協力をお願い申し上げます。
18世紀中頃の古民家が山元町に未だ現存していることに驚くと共に何とか保存出来ないかと強く思いました。「宮城県の古建築」として《宮城県文化財調査報告書第151集》を宮城県教育委員会が平成4年に発行しています。山元町の古建築1件が調査されておりましたが、それは浅生原字日向の清野家の住宅でした。「古式な架構、閉鎖的な家構、とこ、とこわきの意匠などから推して、かなりの古家とみられる。18世紀中期を降らない建築」と報告されています。残念ながらこの住宅はすでに取り壊され、現存しておりません。真庭の住宅はその清野家とほぼ同時代の住宅です。
「古い家がない町は思い出のない人間と同じである」とは画家の東山魁夷氏の言葉。山元町にはこのような利用可能で、大きな価値のある文化遺産としての建築物が現存しているのです。これを保存し活用することにより、趣きや魅力のある町になるのではないでしょうか。
山元町は震災復興で様々なものが生まれ変わりつつあります。山元町として何を心のよりどころとして復興していくのでしょうか。古いものをなくすことは簡単ですがそれを取り戻す事は不可能です。価値のあるものを残していくことこそ後生への私たちの責任ではないでしょうか。何が大切なのか、智惠を出し合って山元町の未来を考えて行きたいと思っております。
文責(千石信夫)

天候にも恵まれたくさんのお客様に楽しんでいただきました。

我が女性軍団が愛情込めて料理したトマトのスープは好評でした。

金時草の試食も好評でした。

真庭産の金時草、大根、白菜、ねぎ、は完売となりました。

そして、NPO法人セカンドハーベスト名古屋様からご提供いただいた支援物資もすべて配布させていただきました。

内容は珈琲・ママレードお菓子のセット(約300セット)
協賛メーカー 味の素ゼネラルフーズ㈱様 キューピー㈱様 片岡物産㈱様 春日井製菓㈱様
ご協力いただきました関係者の皆さまに深く感謝申し上げます。
私たちの活動について東日本放送さんが継続的に取材していただいております。
放送は26日の午前の予定です。