山元町産 伊達むらさき    (金時草)


by tyama2001

カテゴリ:亘理・山元ニュース( 58 )

亘理郡の農業(その1:減反への道)

 昭和45年(1970年) に日本の歴史始まって以来の出来ごとがおきました。米が余ったのである。大阪万博があった年です。今後は米の生産を減らせというのです。
 現代日本人にとっては、食物を捨てるとか、コメが余るのは日常のことになってしまったが、昭和25年頃までは腹一杯ご飯を食べることが、夢にも近いことだった。今やそんな記憶も薄れつつある。何しろ田んぼの40%近くがもはや米を作ってはいない。
e0102418_21315736.jpg
 食糧の増産は、古代よりいつの時代にあっても日本人の悲願であった。主食・コメの生産力は、地域の力だった。江戸時代に亘理伊達氏の2万4千石と坂元の領主大條氏の4千石が、亘理郡と新地町を合わせた生産高である。
 昔は年間に一人1石(150kg)を食べるとされたので、すなわち2万8千人を養える力があった。さらなる増産をすべく、新田の開発に励んでいたのである。

 米の生産力が急激に伸びたのは、終戦後(昭和20年以降)のことである。
 それまでは、一反当たり5俵(300kg)程度だったが、化学肥料や機械化が反収の増加につながった。現在ではほぼ倍の収穫を得ている。コメは日本の主力産業だったのである。米の出来不出来は、日本経済を左右していた。

 今では考えられないことがたくさんあった。
 多くの家が専業農家だった時代には、現金収入があるのは秋の刈入れ時である。供出米の代金だった。逢隈などの農家の多くは、亘理の街中に来て買い物をするのに現金を持たず、通帳(ノートみたいなもの)に書きとめてもらい、秋に一括して支払いに来るのが常だった。
 誰もが貧乏だった。農作業はすべからく人手に頼っていたのである。稲から穂先の米のみをとる脱穀機というのがあったが、これも人間が足を使って踏んで動かすものだった。
 田植えの時には、猫の手も借りたいと言われたものである。
 私が中学生になったのは昭和29年であるが6月1日から3日間田植え休みがあった。農家であろうと、なかろうと係らず全校が休みなのである。卒業まで続いた。
 秋には「イナゴ取り」の行事があった。これも3日間である。授業はなく朝から全員が一斉に田んぼに向かい、刈り取られて乾燥のために「はせがけ」にしてある稲に群がっているイナゴを捕まえて布袋に入れ、弁当は田んぼで食べて午後3頃までに学校に戻り、捕獲したイナゴの計量をうけて帰るのである。
 学校はイナゴをまとめて販売し、図書の購入などに充てたのである。日本はまだイナゴが貴重なタンパク源だった時代である。
 私は3日間で一貫目(3.75kg)を捕獲し7等賞をもらい鉛筆をいただいた記憶がある。
 
e0102418_21320882.jpg
 大きな農家では、人手の確保に手間取りや作男と言われる人を置いていた。
 特殊な例だが、昭和10年生まれのSさん(現存)という男がいる。彼は小学校4年までしか学校に行っていないのだという。終戦直後の混乱もあり名前が落ちてしまったらしいのである。どの学級にも属さず現在なら大騒ぎだが、彼の家ではこれ幸いと大農家の作男として預けてしまったのである。預かった農家も子供に作業は無理だと、しばらくはその家の子守りなどをしていたというのである。
 やがて、農業機械化の第一号ともいうべき「石油発動機」が入ってきた。ダダダダ・・という音にご記憶のある年配の方も多いはずだ。足踏脱穀機の動力となった。ところが故障がはげしい、修理屋を呼んで直すのだが、Sさんはその修理をみていると、故障原因の大半が点火装置の汚れにあると気がついた。それなら自分にも出来ると、雇われ先のものを直し、他の農家からも頼まれて、結構な小遣い稼ぎになったというのである。やがて全体の仕組みも覚えて、使われなくなって捨てられた発動機も修理して売ったこともあったというのである。

(記:鈴木仁)     ――― 次号に続く

[PR]
by tyama2001 | 2018-07-01 00:00 | 亘理・山元ニュース
桔梗長兵衛によるブドウ栽培(その2)
 
「牛橋でブドウを栽培してブドウ液を作り首都東京で販売する。」という構想の実現を目指すことにした長兵衛は、明治34年(1902年。長兵衛29歳)、牛橋に入植し荒地の開墾に着手しました。ブドウ液の製造・販路などでの課題は山積したままですが、開墾・樹園の育成を進めながら考え、準備を進めるつもりでした。明治35年(1902年、長兵衛30歳)、彼はコンコード種(葡萄酒やブドウ液への加工に適した品種)のほか22種のブドウの苗、3000本を植栽しています。 (山元町教育委員会編「山元町ふるさと地名考」より)

東京での販売活動の展開
 大正時代(1912年~)に入り、ブドウの収穫・ブドウ液の生産が始まりました。販売の準備は既に始めていましたが、なにせ東京の人には知られていない山下村の物産です。販売活動は困難を極めました。そのうち大阪の『葡萄酒の寿屋』(サントリーの前身)との接点ができました。寿屋は、葡萄酒製造所増設のためブドウ生産地をさがしていました。長兵衛は寿屋に牛橋を紹介し牛橋進出に協力しました。そのためか、ブドウ液の皇室への献上と、海軍への納付が実現しました。皇室への献上や海軍への納入は、世間の商品や生産者についての安心・信頼が得られます。ほどなく三越に納めることができました。以後、横浜などの都市にも販路が開けました。長兵衛によるブドウ栽培・ブドウ液生産が成功したことから牛橋でのブドウ生産者が増え、さらには花釜・浜吉田方面でも葡萄生産者が増えました。昭和に入ると笠野や新浜方面にも拡大しました。花釜・牛橋でのブドウ液生産者も10軒前後できました。こうして亘理郡は、東北1のブドウ産地になりました。

戦時中も伐採をまぬがれたブドウ園
 昭和6年に満州事変が起り、昭和16年には、太平洋戦争に発展しました。その間も、葡萄は抜かれることはありませんでした。それで1945年8月の敗戦後も継続してブドウは収穫できました。食糧の配給制が敷かれ、甘いお菓子など食べることのなかった戦後の時期、ブドウは貴重でした。亘理郡は相変わらず、東北地方第一のブドウ栽培地でした。この状態は、1960年頃まで続きました。その後のブドウ栽培衰退の経緯は前月号の通りです。

丘陵地帯でのリンゴ栽培
e0102418_12534223.jpg
  1960年、池田内閣は、経済の高度成長を支えるために、農業生産面では果樹・畜産部門の成長に力を入れることにしていました。それで、山元町においては阿武隈高地の麓の丘陵地区でのリンゴ団地の形成に力を入れることになりました。その結果、1965年頃から、八手庭・大平・鷲足・浅生原・高瀬・真庭・久保間・中山などに、リンゴ園の集中する地区『リンゴ団地』が造成されることになりました。国は、消毒用の大型農機である「スピードスプレア」の共同購入などを支援するなどの施策を実施しました。こうして山元町では、リンゴを作付けする農家が1970年頃まで増えました。品種は秋に収穫するスターキング・ゴールデンデリシャスが中心です。ほかに、多くはありませんが、朝日などの早生種がありました。りんご園の場合、収益が出るまで10数年かかります。また、特にリンゴの場合は、売れ筋の品種が時と共に変わるので、接ぎ木などで、品種を更新せざるを得ません。それでも、1980年頃から、宮城県ではトップクラスのリンゴ栽培地に成長しました。しかし、2000年頃から中心的従事者の高齢化などで、経営継続が困難な果樹園が生じ始めました。経営困難で手入れができなくなったリンゴ園は、病虫害の伝染・拡大のもとです。伐採して果樹園を閉じなければなりません。近年は、果樹園は減少しています。
 よく、アメリカのリンゴはまずいと聞きます。アメリカでは、市場での価格競争に対応するために果樹園の大型化と機械化による省力で生産コストを下げてきました。一方、日本のリンゴのおいしさは、剪定・摘果をはじめとする繊細できつい作業の積み上げで維持されています。現在、日本の農業も、農産物の国際化と少子化にさらされています。労働生産性の追求なしでは存立しえなくなって来つつあります。リンゴのおいしさは機械化にはなじまない労働集約型の農作業の結果であるとすると、農家の収益確保と流通のあり方についての公的機関による研究推進が待たれます。   (記:菊地文武 )


お知らせ
 (NPO)亘理・山元町おこし振興会では、農業部門に於いては、金時草の中の 繊維の軟らかい系統の種類の一つに注目し、“伊達むらさき”と命名し商標登録を行い、その普及を追求しています。現在、数軒の農家にその栽培と販売をお願いし、東北福祉大学では伊達むらさきの薬効に注目し薬効成分分析調査を進めています。“伊達むらさき”に関心をお持ちで一緒に活動したいと希望する方は、ご一報ください。(千石信夫迄 0223-37-0010)


 この資料は、山元町中央公民館、つばめの杜ひだまりホール、ふるさとおもだか館、亘理町立図書館の情報コーナーに置いてあります。手に取ってお読みいただければ幸いです。


e0102418_13350702.jpg
e0102418_13540051.jpg

[PR]
by tyama2001 | 2018-06-01 00:00 | 亘理・山元ニュース
亘理郡南部の浜通りでのブドウ栽培(その1)

 大正時代から昭和35年頃(1960年頃)にかけての約50年間、常磐線山下駅から浜吉田駅の間は、車窓から連続するぶどう畑の景観を楽しめました。当時、亘理町浜吉田地区・山元町牛橋地区※・花釜地区・笠野・新浜地区は東北地方最大のブドウ産地でした。しかし5年後の昭和40年頃には、これらのブドウ園のほとんどが消滅しました。この頃は、敗戦で壊滅状態になった日本経済が戦前の状態に戻った時期で、日本人の食生活は向上し、果物への需要は高まり始めていました。

e0102418_22143046.jpg

 1960年(昭和35年)に成立した池田内閣は、産業に関しては製鉄業は自立できる段階に達したとして、化学繊維工業・機械工業の振興に努めることにしました。これらの発展で輸出入を増やし、産業全般の底上げを図ったのです。また、農政面では、果樹畜産の振興を謳いました。その結果、機械工業や化学繊維工業が急速に発展して、斜陽化しつつあった絹工業(絹織物業・製糸工業)の衰退が進みました。その結果、養蚕は壊滅しました。養蚕が盛んだった山梨・長野・福島・山形などでは、1965年(昭和40年頃)には、国・県の支援で桑の多くは伐採され、ブドウなどの産地に変わろうとしていました。

 この頃、東北の中心都市仙台の発展が急速に進みました。そのため、亘理郡でも、仙台とその周辺に就労する農家の中心的な担い手が増加しました。その結果、亘理郡のブドウ栽培は、生食用の品種への更新もできなくなり、急速に衰退しはじめました。昭和45年頃には消滅します。

※牛橋地区での農業山元町牛橋地区の農業は、幕末の1861年(文久元年)に、亘理要害配下の農民33名が入植した時から始まりました。入植地は、牛橋干潟の西、県道塩釜・相馬線の両側です。牛橋地区は、草木の生い茂る荒れ地と湿地で土壌は砂地で瘠せていました。その上、台風時の冠水や高潮の被害も多く、明治に入っても用地は余っていました。

青年期までの桔梗長兵衛

 桔梗長兵衛は、明治5年(1872年)に、山下村山下で生まれました。彼の父は、明治に入った頃に山形県上山(かみのやま)から来た人です。屋敷も農地もありません。手間取りの仕事をしていました。長兵衛も、青年期までは、父と同じような仕事をしました。長兵衛が22~23歳だった明治27年に日清戦争が起りました。翌28年に日本が大国の清に勝ったという知らせが片田舎の山下にも届き、村はその話題でもちきりになりました。若い長兵衛も歓喜しました。3年後の明治31年(1898)に村中の話題になる出来事がありました。それは常磐線の開通でした(長兵衛26歳。まだ山下駅はなかった)。
変革の時代の到来を感じた長兵衛は馬を借りて運送業を始めました。当時の言葉で言うと馬車曳き稼業です。中村(現 相馬市)の辺りに馬車で山下地区の味噌などを運んでいました。

e0102418_22143913.jpg

長兵衛の経済的自立への模索
 
 馬車曳き稼業で、明治という新しい時代の動きを肌で感じる機会が多くなりました。多くの人から明治政府が日本の近代化を目指して富国強兵策・欧化政策を推進していることや、東京では欧米からの物資が出回っていて葡萄酒(ワイン)やブドウ液が上流階級による社交界でもてはやされていることも知りました。
 一方、自分の馬車曳きという仕事の実情と将来を見直す機会にもなりました。明治政府が新しい政策を実施していても、山下村での馬車曳き稼業に関係する物資は、その種類も量も、昔と変わってはいないようです。このままだと、馬車曳きでは桔梗家の基礎を生み出すほどの稼ぎにはなりそうもありません。だとすると財(相続すべき土地)を生み出す道は、牛橋への入植しかありません。しかし、江戸末期に牛橋に入植した農民の現状は相変わらず苦労の毎日です。牛橋に入植したとして、無から有が得られるような大きな事業について考えました。『無から有を得る』、これは山形の上山(かみのやま)を出て山下の地に流れ着いた男の息子 桔梗長兵衛の人生目標です。
 ほどなく、「牛橋でブドウを栽培してブドウ液を作り東京で販売する。」という とんでもない構想を思い付きました。この発想は、大きな変革に具体的に直面することのなかった片田舎の山下村では、湧いてこない発想です。よそ者の息子が、馬車曳き稼業での見聞を組み込んで思い付いたものです。

(記:菊地文武)     ――― 次号に続く

 この資料は、山元町中央公民館、つばめの杜ひだまりホール、ふるさとおもだか館、亘理町立図書館の情報コーナーに置いてあります。手に取ってお読みいただければ幸いです。

e0102418_23132127.jpg
e0102418_23135694.jpg


[PR]
by tyama2001 | 2018-05-01 22:39 | 亘理・山元ニュース
 東北福祉大学では伊達むらさきに注目し、成分分析調査を進めています。同大学の小野木講師らは「宮城県山元町産Gynura bicolorの成分分析」という研究発表(山元町産Gynura bicolorが、伊達むらさきです!)で、伊達むらさきの成分分析結果を日本薬学会第138年会で発表しました。以下、小野木講師より聴きました研究発表内容です。

【目的】
 Gynura bicolor(標準和名:スイゼンジナ)はキク科ギヌラ属の多年草であり、観音莧(カンノンケン)という生薬名を有する。沖縄ではハンダマ、熊本では水前寺菜、石川では金時草と呼ばれ、多肉質の葉が食用に供される。宮城県亘理郡山元町では近年「伊達むらさき」というブランド名でGynura bicolorを生産、販売しているが、他地域と外観がやや異なり茎も食用に供すことから、成分分析を行い他地域のGynura bicolorと比較検討した。

【方法】
 2017年10月に収穫された山元町産と他地域のGynura bicolorの葉と茎(葉先より17cm程度)を洗浄風乾後、食品分析開発センターSUNATECへ外部委託し成分分析を実施した。また、総アントシアニン量を比色法により測定した。

【結果】
 他地域産と比較し伊達むらさきは100gあたりの水分、ナトリウム、カリウム、ビタミンK1、グルタミン酸、アスパラギン酸、アントシアニン各含有量が多かった。また、脂肪酸総量、食物繊維量は他地域より低かった。

e0102418_21520905.jpg

【考察】
 伊達むらさきは他地域産と外観が異なり茎も食用に供すことから、葉と茎を同程度サンプリングした結果、伊達むらさきの食物繊維量は低かったため、茎も食用に適することが裏付けられた。今回の成分分析結果より他地域産と山元町産のGynura bicolorでは違いが見られた。今後は遺伝子的な違いの他、栽培方法や採取タイミング、土壌調査等も検討する。

【謝辞】
 本研究遂行に際しご協力頂きましたNPO法人亘理山元まちおこし振興会の皆様、宮城県亘理郡山元町の伊達むらさき生産農家の皆様、東北福祉大学健康科学部保健看護学科3年生の菊池香凛氏、佐藤朱莉氏、新倉風香氏に感謝申し上げます。
 本研究は、東北福祉大学感性福祉研究所において、文部科学省の施設運営支援の助成を得て行われた研究プロジェクト『3.11を契機とする地域の健康福祉システムの再構築-「集中復興期間」後の展開-』の研究成果である。

【利益相反】なし
以上


 東北福祉大学の成分分析に関する研究成果から、伊達むらさきの紫色の鮮やかさ、茎まで食べられる理由がわかりました。ナトリウムが多いのは、山元町が太平洋沿岸地域だからでしょうか?
 伊達むらさきへの興味がますます湧いてくる研究成果であり、今後も東北福祉大学の研究成果に注目していこうと思います。

[PR]
by tyama2001 | 2018-04-24 22:23 | 亘理・山元ニュース
FM岩沼さんが「伊達むらさき」の活動について取材していただきました。

早朝番組ですがお聞きになれる方は聞いてみてください。
東北福祉大学の小野木さんが登場します。

本放送:12月11日(月)~12月15日(金)再放送:12月18日(月)~12月22日(金)

時間帯は5:40-6:00のうち5分間です。


[PR]
by tyama2001 | 2017-12-08 11:19 | 亘理・山元ニュース
宮城

「伊達むらさき」で新商品を 東北福祉大がサプリ開発目指す 被災地山元の農家支援へ

2017年11月04日 土曜日
作間さん(左)の畑で伊達むらさきの収穫を手伝う研究グループ
 東北福祉大の研究グループが、宮城県山元町で「伊達むらさき」のブランドで栽培されている金時草(きんじそう)の研究プロジェクトを始めた。町での栽培は東日本大震災後に本格的に始まったが、知名度が低く生産量は伸び悩んでいる。研究は被災地支援の一環で、栄養価の高い金時草を使ったサプリメントなど新商品開発を目指す。
 金時草はキク科の多年草で熱帯アジア原産の葉物野菜。緑と紫の2色の葉が特徴で肉厚で茎が柔らかくシャキシャキとした食感がある。おひたしや天ぷらなどにして食べる。
 研究プロジェクトは東北福祉大健康科学部の小野木弘志講師(薬学)ら3人の研究者と学生らで進めている。金時草にビタミンCやカロテン、アントシアニンなど栄養分が豊富に含まれていることや、軽量な葉物野菜であることなどに着目し、農家の高齢化が進む被災地での栽培に適していると判断。本年度から5年計画で支援を開始した。
 現在、山元町産と他地域産それぞれの成分分析を行っており、結果を基にサプリメントの開発に着手する。プロジェクトには、栽培の手伝いやレシピの共同開発といった農家との交流、農作業によるストレス軽減効果の検証なども含まれている。
 伊達むらさきは、山元町のNPO法人「亘理山元まちおこし振興会」(千石信夫理事長)が、震災前に特産品作りの一環で試験栽培を開始。2013年、町内の農家が復興の願いも込めて初出荷した。知名度不足や価格の低迷などで栽培が伸び悩んでおり、昨年度の出荷量は約1.3トンにとどまっている。
 生産農家の作間稔昌さん(65)は「味には自信がある。交流をきっかけに、販売を拡大していけたらうれしい」と期待する。
 金時草は石川県の伝統野菜として知られているが、研究グループによると、山元町産の方が葉の紫色が濃く、茎が柔らかいという。小野木さんは「地域住民と新商品開発などを行い、被災地域活性化の一端を担えればと思う」と話す。

[PR]
by tyama2001 | 2017-11-07 15:33 | 亘理・山元ニュース
本日3月6日(金)13:30から山元町山下第一小学校多目的ホールにおいて開催されました。

マクシミリアン・フリーダー氏
とてもさわやかな青年です。

e0102418_17142770.png


演奏曲目

ベートーヴェン ピアノソナタ第26番「告別」

ショパン 幻想即興曲など

ドヴュッシー 喜びの島

日本の歌

アルゼンチンタンゴ



e0102418_16303984.jpg


演奏に先立って、演奏曲目の説明や、演奏者が立ち上がったら拍手しましょう。
など、紹介がありました。

e0102418_1632762.jpg


たくさんの方に足を運んでいただきました。



e0102418_1712443.jpg


すばらしい演奏に感動いたしました!

マクシミリアン・フリーダー氏は明日帰国(ウイーン)されるとのことです。 ありがとうございました!

そして、この度のコンサートを企画された、NPOフレンドシップ・コンサートをはじめ

協賛:オーストリア航空株式会社・ウェスティンホテル仙台、各位に心から感謝申し上げrます。
[PR]
by tyama2001 | 2015-03-06 17:43 | 亘理・山元ニュース
当初予定しておりましたゲーデご夫妻の出演は、諸事情により演奏者がマクシミリアン・フリーダー氏に変更となりましたことお知らせいたします。


被災地応援
コンサートのご案内

世界で活躍されている
若きピアニストがウィーンから来日!

日時   平成27年3月6日  (金)  13:00 開場
                        13:30 開演  14:30 終了

会場    山元町立山下第一小学校  体育館  (駐車場 : 校庭  入口は南門)

入場料  無料  (対象は 児童 保護者 一般の方どなたでもご入場できます)

演奏者  マクシミリアン・フリーダー Maximilian Flieder  ピアニスト


演奏曲目

   ベートーヴェン ピアノソナタ第26番「告別」より

   ショパン 即興曲より

   ドヴュッシー 喜びの島

   日本の歌

   アルゼンチンタンゴ


   ※演奏者の希望により曲目の変更をする場合がございます。



主 催

特定非営利活動法人 
亘理山元まちおこし振興会

山元町立山下第一小学校

 NPOフレンドシップ・コンサート
『第8回東日本大震災被災地応援ボランティア・ツアー』
主催:NPO法人フレンドシップ・コンサート、
協賛:オーストリア航空株式会社・ウェスティンホテル仙台
の一環として行われます。

お問合せ:亘理山元まちおこし振興会090-3120-3936 (センゴク)




                           ご 挨 拶

 
 この度、NPO法人フレンドシップ・コンサートのご配慮により世界的に活躍されているマクシミリアン・フリーダー氏をお招きしてコンサートを開催させて頂く機会を得ました。ここに関係する皆々様に心よりお礼申し上げます。
音楽を通じて青少年の豊かな情操と健全育成、そして山元町の文化振興に大きく寄与するものと企画させていただきました。世界で活躍されている演奏家と直接触れ合う事は山下第一小学校児童はじめ山元町民にとりまして大変貴重なことと思います。その演奏に耳を傾け、芸術のすばらしさを身近に感じて頂ければ幸いです。                     
午後のひとときにすばらしい音楽をどうぞお楽しみください。
                                              平成 27年 2月 吉 日

                                              特定非営利活動法人
                                              亘理山元まちおこし振興会
                                               理事長 千石 信夫

                                              山元町立山下第一小学校
                                                 校長 作間 勝司

演奏者のご紹介

マクシミリアン・フリーダー Maximilian Flieder  ピアノ
e0102418_10582270.jpg

1989年音楽家の一家であるフリーダー家の次男としてウィーンに生まれる。5才よりピアノを学ぶ。1999年からウィーン国立音楽大学で学び、そこで名ピアノ教師として知られるエリザベート・ヴァイスハーレ教授に師事し2005年からはマーティン・ヒューズ教授の指導を受ける。1998年にピアノコンクールで優勝して以来”Prima la musica” “Musica juventutis”等のコンクールで優勝している。マクシミリアン・フリーダーはソリスト及び室内楽奏者としてウィーン楽友協会やウィーン・コンツェルトハウス等で開催される数多くの演奏会に出演する傍ら、ヨーロッパやアジアで活躍している。共演者にはフランツ・バルトロメイ、ダニエル・フロシャウアーそして父であるラファエル・フリーダー等多くのウィーン・フィルメンバーやヨーロッパの著名演奏家が並んでいる。
[PR]
by tyama2001 | 2015-02-04 11:29 | 亘理・山元ニュース

新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ亘理山元まちおこし振興会をよろしくお願いいたします。


新年を迎え当法人の近況をご報告させて頂きます。

 特産品・ブランド開発事業部門で、本年は「伊達むらさき」生産出荷開始されてから3年目になります。昨年は河北新報、NHKTVとラジオ、仙台放送、など様々な方面で取りあげられPRさせていただきました。さらには宮城県が発行している「みやぎの輝き食材カタログ」で今後注目のみやぎの輝き食材として掲載されました。お陰さまで「伊達むらさき」の名称が広く認知されてきているところです。
e0102418_1354127.jpg
 生産者の皆さんやJaみやぎ亘理さん全農みやぎさんのご協力をいただき生産販売量は順調に増加しており、初年度実績約0.7t、昨年度実績2.5t、今年の目標量は5tに設定させて頂きました。この事業は、基本的には大規模農業には向いておりませんが、小中規模そして兼業農家の皆さんが、夏場の既生産品種より条件的に有利な山元町特産作物として推奨させて頂いているものであります。市場の方からは品質は良く販売しやすいと好評価をいただいておりますが、当然のことではありますが生産量の確保と安定供給が条件となります。今年はさらに生産者を募集し生産量をめざしてまいります。と同時に地元でも普通に食卓に登場する食材となるよう普及活動も考えております。皆々様のご支援とご協力をお願い申し上げます。
 当法人としては更に、あらたな特産品の開発を推進中であり山元町の活性化を目的に活動してまいりたいと考えております。

 次に、被災者支援事業として農と福祉の連携による能力活用モデル事業について仮設住宅のお住まい皆様と一緒に真庭地区の畑において農作業、収穫などを行い主に高齢者の生きがいつくりと住民交流を目的におこないました。
 この事業につきましては昨年、興洋グリーンハウス株式会社代表取締役小西春男様より深いご理解とご賛同を賜りビニールハウス1棟ご寄付頂きました。我々の活動にとって大変ありがたく心から感謝するものであります。この場であらためて御礼申し上げますとともに皆様にご報告を申し上げさせて頂きます。今後も被災者の皆様に寄り添って、喜んで頂けるような活動をしてまいりたいと考えております。

 
 次に人材活用支援事業の「何でも手伝い隊」では、町内の草刈り作業や伐採作業などを継続して活動し町内の人材活用を推進しております。

 最後に、今年もその他、文化スポーツ事業につきましても、引き続き、山元町新たな歴史掘り起こし、古民家の活用、トレーラーハウスの活用など様々活動を推進してまいりたいと考えておりますので本年もご賛同ご支援くださいますようよろしくお願いいたします。

                                             平成27年1月6日
                                             理事長 千石信夫
[PR]
by tyama2001 | 2015-01-06 11:52 | 亘理・山元ニュース
今年も、山元町ふれあい産業祭に出店し、真庭の農場で収穫した野菜などを販売いたしました。
11月23日(日)開催
e0102418_11284142.jpg


今年は、何万人だったのでしょうか? すごい人、人、人でした。
e0102418_11293570.jpg


三重県の津市長 前葉泰幸様もお立ち寄りいただきました。

e0102418_11314417.jpg


お陰様で野菜は完売いたしました。 ありがとうございました。
[PR]
by tyama2001 | 2014-11-26 11:32 | 亘理・山元ニュース