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山元町産 伊達むらさき    (金時草)


by tyama2001

郷土の歴史を遡って知ろう!(第47号)

令和4年12月1日  

 NPO法人 亘理山元まちおこし振興会

                         発行人・理事長:千石 信夫

室町時代(前期)

 南北朝初期頃までの亘理地域周辺の主な豪族をあげると鎌倉幕府を開設した頼朝によって配置された亘理郡地頭の武石氏(亘理氏)や南の相馬氏、現在の仙台に拠点を置く国分氏、さらには福島県の中通り北部を支配する伊達氏がほぼ均等な勢力を保っていた。

 だが伊達氏は、豪勇を誇る8世宗遠に至ると、その息子である9世政宗も英邁を謳われたこともあって、親子で周辺地域である山形県南部の置賜地方に侵入を始めた。さらには勢い余って宮城県の刈田郡まで進出してきたのである。これには亘理・伊具・宇多郡を支配下に収める亘理行胤が、見過ごすことは出来ぬと兵を出したが1381年に刈田で戦うも行胤は敗れる。同じ年に行胤の父である広胤(足利尊氏から3郡領土を安堵された)も病没する。

亘理氏と伊達氏が戦った刈田戦の2年後、1383年に行胤は荒浜の高須賀に今に残る「湊神社」を建立した。武運長久を願ったのであろうか。

 一方の伊達氏は、九世の政宗の時代になると、さらに領地を広げてゆく。(有名な戦国時代の政宗は17世である。英傑で知られた九世政宗にあやかろうと、後世になって16世の輝宗が自分の息子に名付けたのである。政宗は期待にたがわぬ活躍をして仙台藩祖となったことはご存じのとおりである。)

 また、江戸時代に坂元領主になった大條氏の先祖は、9世政宗の弟である。初期の大條氏は現在の福島県柳川に館を構えていた。

 九世政宗は1404年に死亡するが墓所がわからなくなっていた。伊達氏が戦で領地を広げると拠点を移したので、後世になるとわからなくなってしまった。ただ死亡した場所が記録に残っているので推定はついていた。

明治21年に至り当時の伊達家が、先祖の墓所を確定させようと旧寺があった山形県高畠町東光寺の奥まった雑木林を切り開いて政宗夫妻の墓を見つけたのである。

明治37年(1904年)に9世政宗の500回遠忌が行われたのである。

当時、亘理氏は戦に弱かった。亘理行胤が1393年に病亡すると、息子の重胤が9世の亘理氏を継いだ。しかし重胤は1412年に仙台の国分氏との戦いで戦死してしまう。

その4年後の1416年のことになるが、10世の亘理氏を継いだ胤茂が、国分氏を攻撃してこれを殺し復讐を遂げたのである。胤茂の代に、名取郡や柴田郡をも一時的には配下に収めるのである。だが、この勢いは長く続かなかった。

胤茂が死亡すると亘理氏には深刻な内紛が起きて、一挙に衰亡してしまうのであるが後号に記載する。

   <前述した、約100年間の武石(亘理氏)を下にまとめた。>

 

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 当時の豪族間の勢力争いを別に、亘理郡の出来事として、1409年に陸奥国府の役人(按察使)として派遣されていた藤波(ぎょう)(ゆう)2年間の陸奥調査結果を1411年に都に戻り詳細に報告したことが評価され、亘理郡に百町歩を与えられ山下の笠野に神社を設けた。尭雄は伊勢神宮に参詣して素戔嗚尊の神符をいただき牛頭天王社を創建したのである。

 (現在の八重垣神社であるが、古札には大同2年(807年)もあり、古社を再建したものとするのが妥当であろう。藤波氏は以来、代々の神職を務め現在に至る)

 神社は、周辺地域の人々から深く尊崇され、参詣する人も多く、祭典ともなると大変な賑わいとなり近隣町村の商店も門前に店を広げ市が立ったとされた。

 御神輿が浜辺から海中に出御する勇壮な神事でも知られている。

 また、この時代の京都では、現代にも残る幽玄な「能」が「世阿弥」によって完成された。

 





1363年に世阿弥は、当時の猿楽役者として有名な観阿弥の子供として生まれる。足利将軍3代目の義満以降の将軍が芸能を好んだことから、役者間の芸の競い合いが生じて芸能の発展につながった。

 勝ち残ったのが世阿弥の一座であった。現代で言う原作、脚本、演出、役者まで一座で行っていた。能に使う面に特徴がある。殆ど表情を持たないものが多いが、夜叉の面などもある。演者の体の動きや舞いによって演目の内容を表現するので、幽玄さを醸し出すのである。神話などの悲劇に題材を求めることが多い。これと対をなすのが狂言であり、日常生活から拾い上げたコントというべきものである。能と狂言を合わせて能楽と表現している。これらを演ずる場所が能舞台である。

 宮城県には残念ながら現存する能舞台は白石市の碧水園と登米市の2ケ所のみである。

参考文献 菊地文武著「山元町での鉄生産に始まる古代東北の物語」 

            山元、亘理町史   (記:鈴木仁)   


by tyama2001 | 2022-12-19 11:32 | 亘理・山元ニュース