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山元町産 伊達むらさき    (金時草)


by tyama2001

郷土の歴史を遡って知ろう!(第31号)

令和3年4月1日

NPO法人 亘理山元まちおこし振興会

発行人・理事長:千石 信夫

 http://www.watari-yamamoto.com/





亘理郡での鉄の生産

 21世紀に入るころ、すなわち20年ほど前に茨木県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に1枚の大きなポスターが貼られていた。

 「古代日本の鉄生産核心地」として、「出雲地域」と共に現在の「亘理郡山元町地域」が示されていた。古代と言っても長い期間がある。出雲は現在も安来ハガネとして有名だが、山元町には、その名残として風化した茶黒の鉄滓が集中するところが何か所もあり地元では、通称カナグソ山などと呼ばれていた。遺跡だが歴史上も学問的にも大きく注目されることはなかった。

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 正式名称は「カナゴ」(金久曾)という。カナグソとも読めるし、言い得て妙なのである。鉄の生産過程で、動物の体外に排出されるクソ(糞)みたいなものとも言える。
 鉄の生産方式は、古代も近代製鉄も原理的には同じなのである。鉄原料の表面などに含まれる不純物を高い温度で溶かして取り除き純度の高い鉄製品を得るのである。
 原料は、鉄鉱石であるが古代の海岸地域では砂鉄が使われていた。鉄を溶かすには千五百℃もの高い温度が必要である。しかし「たたら製鉄」方式は、少し低い温度でも溶ける利点があった。

 現代の溶鉱炉は、コークスを用いて高温を得るが、「たたら製鉄」では木炭で加熱する。フイゴと呼ぶ送風装置を使い人力で強制的に風を送り木炭を高温にするのだから大変な作業である。三日三晩交代でフイゴを踏み続け、ようやく原料の砂鉄が溶ける温度になる。

 現代の溶鉱炉では、連続して鉄を取り出すが古代では一回ごとに炉を壊して製品となる鉄を取りだすのだから大変な作業なのである。

 砂鉄は表面が黒い。酸化物で覆われているからだ。これを溶かして鉄中の酸素を木炭の炭素と反応させ、一酸化炭素(CO)や二酸化炭素(CO2)として排出させる。このように酸素を奪いとる過程を還元という。高温になった炉の中で還元雰囲気が出来るのである。
 また砂鉄の中に含まれるチタンなどの不純物は炉中で酸素や周囲の鉄と結びつき鉄滓として外に排出する。これがいわゆるカナグソとされるものだ。

 純粋な鉄は、空気にさらされると酸化してやがては腐食し土中に還ってしまうが、鉄滓は高温での酸化物なので、多少の風化はあるが千年以上も過ぎた現在もそのまま残っているのである。

 鉄橋、東京タワーなど現代の鉄の構造物は直接鉄の表面が空気に触れないように「塗装」を施し長持ちさせている。鉄は今や世界文明の主柱であり年間生産は10億トンを超える。CO2は、全産業で排出するうち15%を製鉄が占めており問題視されている。

 水素製鉄など抜本的な変革を求められているが、長い時間がかかるであろう。
 さて、古代の「たたら製鉄」は山の斜面を利用して作られることが多い。

 では、いつの頃に製鉄が日本に入ってきたのかというと西暦100年頃と推定される。朝鮮半島南部から海流に乗ると比較的容易に出雲地方に到達することができる。
 古事記による「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」の「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」退治の伝説は、山の斜面で多数の「たたら製鉄」炉から流れ出る高温の赤い鉄滓が、まるで大蛇の如く見えたのかもしれない。頭はタタラ炉の本体そのもので上に赤い炎を噴き上げている。もともと出雲に住んでいた原日本人の勇者(素戔嗚尊)が朝鮮人と戦った記憶なのだとする説もある。やがて朝鮮人と出雲人は融合して独自の文化を創造してゆく。

 ヤマト王朝に対する出雲の国譲り伝説は、武力統一ではなくその技術を余すところ取り入れるべく、ヤマト・出雲で和平交渉が成立したということであろう。
 近年になって、出雲大社境内から文献上は知られていたが、巨大な金輪で括りつけられた3本の木柱が出土した。高さが48mに達する神殿が存在した証明となる発見だった。

 製鉄技術は、出雲から吉備国(岡山県)へ伝わり、さらには大和地方そして東海を経て鹿島(茨木県)へ、そこから北上して相馬や山元町へと伝わったのが西暦550年頃と推定される。北限は現在のところ亘理町吉田中原地区とされる。最近そこに居住する渥美さん宅の裏山斜面から当時のたたら炉が見つかり話題になった。現地を上ると旭台ニュータウンの団地が広がっている。
 

では、宮城県に中央の大和から最初の入植者が入ったのはいつ頃かというと、西暦300年の終わりころなのだからきわめて古い。従来はもっと後の時期だと思われていたのだが2015年に栗原市で大発見があった。国道4号線のバイパス工事で大規模な当時の集落跡が見つかった。「入の沢」遺跡と呼んでいる。驚くべきことに大和王権の象徴とされる「銅鏡」が出土した。

 わずかな期間のみ住んだような遺跡である。当時の東北人(後に蝦夷とされる)に攻め込まれたのではなかろうか。

 古代東北には、石巻を中心とする「日高国」があったとされるが、明確なものではない。そのうちに遺跡の大発見があるかもしれないと期待しているのである。

考文献 菊池文武著「山元町での鉄生産に始まる古代東北の物語」  (記:鈴木仁)   

by tyama2001 | 2021-04-01 00:00 | 亘理・山元ニュース