人気ブログランキング |

山元町産 伊達むらさき    (金時草)


by tyama2001

郷土の歴史を遡って知ろう!(第27号)

令和2年9月1日

NPO法人 亘理山元まちおこし振興会

発行人・理事長:千石 信夫

 http://www.watari-yamamoto.com/


石器時代から縄文・弥生時代へ<初期の人間活動>

今から2万年ほど前、地球は最後の氷河期時代で、海面が現在よりも百メートル以上も下がっていたとされ、どんな光景が広がっていたのだろう。

日本列島と朝鮮半島や大陸は陸続きになっていて、北からも南からも人間や動植物が渡ってきたとされる。

 <氷河の最盛期には日本海は巨大な湖だった>

              

郷土の歴史を遡って知ろう!(第27号)_e0102418_10045910.jpg

人間は石器を使い、動植物を食べて生活していた。

亘理郡の北端にある大森山から1960年(昭和35年)頃に開墾中に石器が出土して話題になった。しかし周辺地域の十分な調査はなされず3万年前とされる石器一個のみが残った。

亘理郡でも石器時代に人々が野山を駆け巡り生活していた。これからも新たな発見があることを期待したい。


郷土の歴史を遡って知ろう!(第27号)_e0102418_10055202.jpg

1990年頃のことだったが、仙台市富沢で工事現場から石器時代の「焚き火跡」が見つかった。重要な発見とされ大規模な発掘が行われ、一帯がそのまま「地底の森ミュウジアム」(富沢遺跡保存館)として残されている。約2万年前のものとされ、当時の環境・生活状況などをそのまま見ることができる。

当時の気温は、現在より7~8℃低かったとされ、今のシベリアの如き状況で、針葉樹の森が広がっていた。

氷河期は一万年前に終わり、地球は暖かくなって海面は上昇し、7000年頃前に海は現在の平野とされる部分を覆いつくすまでになる。角田盆地も浅くて大きな内海になる。阿武隈山脈は亘理郡のところで海の中に半島の如く突き出す地形を作った。

その後、川が吐き出す砂利や泥によって海は徐々に後退してゆく。阿武隈川は日本でも有数の大河であり、上流から大量の土砂を運んできた。

現在のような堤防もないので、大雨の都度、川は自在に流れを変える。すなわち水は低いところへと流れるので、流域は平坦化されてゆく。2500年前には鳥の海が河口であった。

亘理郡の阿武隈山地そのものからも、大小の澤が流れ出て大雨が降ると山肌を削り海を埋めてゆく。

5千年前には海の下だった亘理から山元町へかけての平野が徐々に出来上がって来た。現代人の記憶する「地名」が出てくる。典型的なものが吉田にある。山麓に「上大畑」、平地に「下大畑」、海岸近くが「大畑浜」である。陸地の拡大に伴い名前を分けたと想像される。

海岸線の後退とともに、山地よりも海辺に近いところが生活し易いと気がつくようになる。それと同時に食物を保存する容器が必要となり、粘土で器を作り焼いて作ることを知る。土器は石器に続く人間の大発明品となる。

石器も土器も時代と共に進歩して、現代人はいろんな名前をつけている。

(打製石器、磨製石器、・・須恵器、土師器・・など)

さて、海岸近くに住みついた人間は貝を食べ、さらには魚を捕獲する。貝殻や魚の骨を、ところかまわずに捨てるというようなことをせず、一か所に集中して積み上げておくようになる。これが何世代にも渡ると巨大な貝塚となり現在に残ることになった。

逢隈の「椿貝塚」、吉田の「畑仲貝塚」、山下の「中島貝塚」などが知られている。これらは3500年ほど前のものとされる。時代区分では縄文時代晩期である。

椿貝塚は巨大なもので貝殻が分布する底辺が1万㎡以上もある

人々は集落を形成して居住するように.なった。

山下の涌沢で、縄文時代の大きな集落跡が発掘された。常磐自動車道の工事に掛かった場所で中央に集会場とみられる広場を中心として円形にいくつかの建物が存在していた柱跡が確認された。この当時の大規模なものとしては、青森の三内丸山遺跡が有名である。当時の日本は現在よりもかなり暖かかったものと思われる。



郷土の歴史を遡って知ろう!(第27号)_e0102418_10060749.jpg

時代はさらに下り、弥生時代を迎える。この頃になると稲作が大陸から伝わってくることになる。山下の国道6号線と常磐自動車道が交差する西側に2000千年前(キリスト誕生の頃)のものと推定される小さな田んぼが見つかっている。

稲穂を収穫するのは、この時代はまだ、石の包丁であり、稲籾だけを取る平板な石に溝をつけた石器も見つかっている。

生活が安定し人口が急激に増加してゆく。日本全国では縄文晩期の10万人から弥生時代には60万人へと増えてゆく。亘理郡には300人ぐらいだろうか。(現在の比率から推定)


文献  山元町誌  亘理町史上巻   (記:鈴木仁)   


by tyama2001 | 2020-09-03 10:15 | 亘理・山元ニュース