「郷土の歴史を遡って知ろう!」 (第5号)

亘理郡南部の浜通りでのブドウ栽培(その1)

 大正時代から昭和35年頃(1960年頃)にかけての約50年間、常磐線山下駅から浜吉田駅の間は、車窓から連続するぶどう畑の景観を楽しめました。当時、亘理町浜吉田地区・山元町牛橋地区※・花釜地区・笠野・新浜地区は東北地方最大のブドウ産地でした。しかし5年後の昭和40年頃には、これらのブドウ園のほとんどが消滅しました。この頃は、敗戦で壊滅状態になった日本経済が戦前の状態に戻った時期で、日本人の食生活は向上し、果物への需要は高まり始めていました。

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 1960年(昭和35年)に成立した池田内閣は、産業に関しては製鉄業は自立できる段階に達したとして、化学繊維工業・機械工業の振興に努めることにしました。これらの発展で輸出入を増やし、産業全般の底上げを図ったのです。また、農政面では、果樹畜産の振興を謳いました。その結果、機械工業や化学繊維工業が急速に発展して、斜陽化しつつあった絹工業(絹織物業・製糸工業)の衰退が進みました。その結果、養蚕は壊滅しました。養蚕が盛んだった山梨・長野・福島・山形などでは、1965年(昭和40年頃)には、国・県の支援で桑の多くは伐採され、ブドウなどの産地に変わろうとしていました。

 この頃、東北の中心都市仙台の発展が急速に進みました。そのため、亘理郡でも、仙台とその周辺に就労する農家の中心的な担い手が増加しました。その結果、亘理郡のブドウ栽培は、生食用の品種への更新もできなくなり、急速に衰退しはじめました。昭和45年頃には消滅します。

※牛橋地区での農業山元町牛橋地区の農業は、幕末の1861年(文久元年)に、亘理要害配下の農民33名が入植した時から始まりました。入植地は、牛橋干潟の西、県道塩釜・相馬線の両側です。牛橋地区は、草木の生い茂る荒れ地と湿地で土壌は砂地で瘠せていました。その上、台風時の冠水や高潮の被害も多く、明治に入っても用地は余っていました。

青年期までの桔梗長兵衛

 桔梗長兵衛は、明治5年(1872年)に、山下村山下で生まれました。彼の父は、明治に入った頃に山形県上山(かみのやま)から来た人です。屋敷も農地もありません。手間取りの仕事をしていました。長兵衛も、青年期までは、父と同じような仕事をしました。長兵衛が22~23歳だった明治27年に日清戦争が起りました。翌28年に日本が大国の清に勝ったという知らせが片田舎の山下にも届き、村はその話題でもちきりになりました。若い長兵衛も歓喜しました。3年後の明治31年(1898)に村中の話題になる出来事がありました。それは常磐線の開通でした(長兵衛26歳。まだ山下駅はなかった)。
変革の時代の到来を感じた長兵衛は馬を借りて運送業を始めました。当時の言葉で言うと馬車曳き稼業です。中村(現 相馬市)の辺りに馬車で山下地区の味噌などを運んでいました。

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長兵衛の経済的自立への模索
 
 馬車曳き稼業で、明治という新しい時代の動きを肌で感じる機会が多くなりました。多くの人から明治政府が日本の近代化を目指して富国強兵策・欧化政策を推進していることや、東京では欧米からの物資が出回っていて葡萄酒(ワイン)やブドウ液が上流階級による社交界でもてはやされていることも知りました。
 一方、自分の馬車曳きという仕事の実情と将来を見直す機会にもなりました。明治政府が新しい政策を実施していても、山下村での馬車曳き稼業に関係する物資は、その種類も量も、昔と変わってはいないようです。このままだと、馬車曳きでは桔梗家の基礎を生み出すほどの稼ぎにはなりそうもありません。だとすると財(相続すべき土地)を生み出す道は、牛橋への入植しかありません。しかし、江戸末期に牛橋に入植した農民の現状は相変わらず苦労の毎日です。牛橋に入植したとして、無から有が得られるような大きな事業について考えました。『無から有を得る』、これは山形の上山(かみのやま)を出て山下の地に流れ着いた男の息子 桔梗長兵衛の人生目標です。
 ほどなく、「牛橋でブドウを栽培してブドウ液を作り東京で販売する。」という とんでもない構想を思い付きました。この発想は、大きな変革に具体的に直面することのなかった片田舎の山下村では、湧いてこない発想です。よそ者の息子が、馬車曳き稼業での見聞を組み込んで思い付いたものです。

(記:菊地文武)     ――― 次号に続く

 この資料は、山元町中央公民館、つばめの杜ひだまりホール、ふるさとおもだか館、亘理町立図書館の情報コーナーに置いてあります。手に取ってお読みいただければ幸いです。

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by tyama2001 | 2018-05-01 22:39 | 亘理・山元ニュース