山元町産 伊達むらさき    (金時草)


by tyama2001

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郷土の歴史を遡って知ろう!(創刊号)

(ブログ版)

              平成 30年 1月 1日  

NPO法人 亘理山元町おこし振興会

                      発行人・理事長:千石 信夫

創刊に当たってのご挨拶

 私たち「亘理山元まちおこし振興会」では、平成25年に「山元町周辺での鉄の生産に関わる東北の物語」と題して、5回に渡るシンポシュームを開催いたしました。

 その時代には、鉄の大きな供給基地であったことが、再認識され鉄を通して様々な史実が明らかになったように思います。

 私たちが住んでいる故郷の歴史を知るということが、地域の新たな魅力の発見につながり、そしてそれを語り継ぐことによって、この地域を訪れた人達が興味を持ってもらえるような町になればと考えております。

 この度「郷土の歴史を遡って知ろう」と題して、亘理郡の歴史的出来ごとの紹介を皆様にわかりやすく、気軽にお読みいただけるような月刊誌として発行することに致しました。

 多くの方々にお読みいただき故郷の歴史を後世に語り継がれんことを願っております。

平成30年は、昭和で数えると93年となります。激変を遂げた現代史でもあります。

 大半の方々はこの間に生まれ、あるいはこの地に居を定められております。

 断片的な記憶が残る人も多いとは思いますが、この地域に起こった主要なものを整理して、日本での大きな出来事と重ね合わせて現状を再認識すべく、共に学び知り合いたいもと思いました。ご意見や共同執筆者をお待ちしております。順不同ですが下記を予定しております。

 亘理は、日理郡という名で、平安時代の律令国家時代には既に存在しており、地形上からも一つのまとまった地域として認識されつづけ、昭和30年(1955年)までは、

北は亘理郡逢隈村から南の亘理郡坂元村まであり、現在も尚、年配の方々にはそんな地域の意識を持ち続けておられる方々が多いと思います。これからの掲載予定項目です。

      ・町村大合併の頃(昭和30年頃)

      ・終戦の頃(昭和20年頃)

      ・高度成長期の頃

      ・バブル期の頃

      ・昭和の農業

      ・昭和初期の頃                



 (その1)昭和の大合併(亘理郡が2つの町に統合)


 第二次世界大戦の敗戦から戦後10年にして、著しい経済発展を遂げた昭和30年の2月1日に、亘理郡内にあった6町村が2つの町として合併したのです。

 逢隈村・亘理町・荒浜町・吉田村が統合して「亘理町」に、山下村・坂元村が統合し「山元町」ができました。

 これは、上記昭和の合併から遡ること66年前の明治22年に亘理郡内が細かく27の集落単位に分かれていた郷村を6つの町村にまとめて以来のことでした。昭和の大合併は、国と県による主導がありました。時の政府は、全国に存在した膨大な数の市町村を減じて、増大する行政事務を円滑にこなそうとしたのです。

 昭和28年に、3年間の時限立法として人口8千人以下の町村は、積極的に合併を促進すべきというものでした。法律が制定されたものの、町村レベルでは動きがとれず、県が試案を示したのです。

 結果的には、亘理郡は2町にするというモデルに従ったのです。

 しかし、当時は各町村の思惑やそれぞれの財産などがあり、当初は動きの鈍いものでした。逢隈村は、単独で人口8千人をクリアしているとか、荒浜町からは元町長で実業家の阿倍亀吉さんが、この際一挙に6町村が合併したらなどの提案も出されたのですが、結局は県の試案に落ち着いたのです。

 千年もの昔から穏やかな一体感のあった亘理郡が、南北で大きく2つに分割されたような形になりました。亘理では小学校の高学年児童が街中を祝賀の旗行列までさせられた記憶があります。現在でも、亘理郡亘理町、亘理郡山元町の如き形式的な亘理郡が存在致しますが、2つの町は、それぞれに独立性を持った自治体ですので、共通する文化・歴史を持つ隣町ながら、合併後の長年の間には、お互いの進む方向と意識に微妙なずれが生じてくるのは当然のことであります。

 平成の大合併構想は頓挫することになりましたが、当事者が意識するとしないに関わらず底流にうごめく意識の違いは如何ともしがいものでした。

 昭和30年の合併後に行われた新町長選出は旧町村意識が絡む激しい選挙戦が展開され、亘理町では、当時の人口に勝った逢隈村より2名が立候補して一方が当選したのです。

 亘理郡の地形的特徴は、南部で平野が狭くなり山間部が多くなることです。山元町では30%以上を山地が占めております。山林は当時の大きな財産でした。

 坂元に昭和14年まで6町村の共有財産だった森林がありましたが紆余曲折の末に坂元村が全てを買い取り「村有財産」としたのです。

 この「坂元村有林」を昭和30年の大合併を前に「社団法人坂元愛林公益会」を設立して200ヘクタール近くを移管して管理運営してもらうことになったのです。(現在も存続)

 この時代の日本を彩ったのは、白黒テレビの出現です。昭和31年3月にNHK仙台が放送開始すると、爆発的に普及したのです。(記:鈴木仁)

    参考文献: 山元町誌  亘理町史(下巻)  郷土わたり誌

   「FMあおぞら」(インターネットラジオ放送)でも紹介されております。


の資料は、山元町中央公民館、つばめの杜ひだまりホール、ふるさとおもだか館、亘理町立図書館の情報コーナーに置いてあります。手に取ってお読みいただければ幸いです。

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by tyama2001 | 2017-12-28 21:56 | 亘理・山元まちおこし振興会
FM岩沼さんが「伊達むらさき」の活動について取材していただきました。

早朝番組ですがお聞きになれる方は聞いてみてください。
東北福祉大学の小野木さんが登場します。

本放送:12月11日(月)~12月15日(金)再放送:12月18日(月)~12月22日(金)

時間帯は5:40-6:00のうち5分間です。


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by tyama2001 | 2017-12-08 11:19 | 亘理・山元ニュース